前回は、デザインを用いてイノベーションを起こす方法の1つとして「意味のイノベーション」という考え方を紹介しました。今回は、「デザイン思考」を用いたイノベーションについて取り上げ、両者の比較に関する私見を述べたいと思います。おそらく、「デザイン思考」という言葉自体を聞いたことがある方は多いのではないでしょうか。
デザイナーのものの見方、考え方に倣うこと
デザイン思考をビジネスに活用することを普及させたのが、デザインファームIDEOです。IDEOのCEOティム・ブラウン氏は、デザイン思考を次のように定義しています。
Design thinking is a human-centered approach to innovation that draws from the designer’s toolkit to integrate the needs of people, the possibilities of technology, and the requirements for business success.
「デザイン思考とは、イノベーションを生み出すための人間中心のアプローチである。人々のニーズ、テクノロジーの可能性、ビジネスとしての成功要件をひとつに統合するデザイナーの手法から導出されたものである。」
https://designthinking.ideo.com/
すなわち、優れたデザイナーがデザインを生み出す際の思考プロセスを、イノベーションを創出する方法論やプロセスに変換(翻訳)したものがデザイン思考といえます。
意味のイノベーションとデザイン思考のプロセスを比較する
意味のイノベーションのプロセスについては、ロベルト・ベルガンティの著書「突破するデザイン」(2017年、日経BP社)の中で紹介されています。意味のイノベーションでは、自分1人で思考することから初めて、内部(社内、関係者)で共有するだんだん人数を増やしていき、批判を受けながら質を高めていきます。そして、「解釈者」と呼ばれる各分野の専門家に、築き上げた仮説に異なる視点を提供してもらうべく問いかけをしてもらいます。ここで初めて、外部の人に会います。そして、最終的に消費者に行動で問う、という流れをたどります。
一方、デザイン思考については、いくつかの考え方のプロセス設定がなされていますが、一番有名なものは、スタンフォード大学d.school(デザインスクール)の5つのプロセスでしょう。“Design thinking is a human-centered approach”という文にあるように、デザイン思考ではまずユーザーを徹底的に理解することから始めるアプローチであることが特徴です。ユーザーを理解するため、ユーザーを「観察」し、「共感」して「洞察」します。すなわち、意味のイノベーションとは逆で、最初に外部の人に会いに行くのです。
また、ユーザーの徹底的な理解の積み重ねの中から「問題自体を定義する」ことも特徴といえます。問題解決にあたっては、ブレーンストーミングなどを行ってアイデアを大量に出し、「プロトタイプ」を作ってアイデアの検証・ブラッシュアップを行いながら、問題解決に近づいていきます。
前回も紹介したように、デザイン思考は急進的(破壊的)なイノベーションは起こせない、というのがベルガンティ氏の主張であり、スティーブ・ジョブズの「ほとんどの場合、実物を見せない限り、人というのは自分が何を欲しいのか、分からないものなのだ」という発言を引用しています(「デザイン・ドリブン・イノベーション」(2016年クロスメディア・パブリッシング)。
ユーザーについて理解したうえで「ジャンプ」できるか?
ここからは私の感覚的な著述になることをご了承いただきたいのですが、実務的な視点でこの2つのプロセスを見た時に、実は本質的に大きな違いはないのではないか?というのが私見です。そう思う理由は2つあります。
1つは、意味のイノベーションは結局のところ、企画者やデザイナーが「自分のアイデアを社内で温めてから最終的に社外(消費者)の意見を聞く」までの一般的なプロセスに似ているように思えるからです。意味のイノベーションでは、初期の「自分のアイデア」を生み出す段階において、外部からの情報をインプットしないことが必要な態度とされているようです。しかしながら実際のところ、事業化を目指してアイデアやビジョンを練ろうとする人間が、その市場に関する情報を全く持たないという想定はあまり現実的ではなく、無意識的にでも、何らかの周辺情報を有しながら考えていくのではないかと思います。
一方のデザイン思考も、最初にユーザーの意見を聞くということからスタートするものの、そのあとは同じように社内での検討プロセスを経て社外検証へ、という流れは同じと言えます。また、アイデア出しのブレインストーミングをしていく際に、「周辺市場からアイデアをもらおう」と考えることは自然です。このプロセスは、意味のイノベーションにおける「解釈者」への問いかけにあたるのではないか?と思います。このように考えると、この2つのプロセスには類似点が見出せます。
もう1つの理由は、イノベーション(特に急進的なイノベーション)を起こすアイデアやビジョンについては、結局のところ、日々多く量産される普通のアイデアとはちがうパワフルなアイデアに至るための「ジャンプ」が必要である、と思うからです。そのジャンプがどのように導かれるのか、という部分について、デザイン思考にはヒントがあります。それは、ユーザーを徹底的に理解する、アイデアを大量に出す、そのような「知識やアイデアの量を重視すること」「つきつめて考え理解すること」で、いわゆる「セレンディピティ」(「素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること」Wikipediaより)を誘引すると思われます。つまり、ユーザーの実態や行動にとことん触れ、問題解決の方法について考えに考え、とことん考えた末に、何かの拍子に「ぽろっと」解決のアイデアがこぼれ落ちてくることがある、というイメージです。
自分なりの発想の「型」を見つける
ちなみに、私は電機メーカー時代に、企画を担当した女性向けの携帯用電動歯ブラシがヒット商品になった経験があります。この商品については、とある所で生まれたアイデアの種があって企画開発を始めましたが、その種を商品化する過程においては、その少し前から女性をターゲットにした商品にトライしていたこと(失敗もしていたこと)、その過程で女性の歯みがき行動に関する知見を少しずつ蓄積していたことが、そのアイデアの種を受け入れる土壌となったと思います。また、そのアイデア自体が、そうした社内の資産と結びついてパワフルなアイデアへと昇華するための起爆剤になったのではないか、と、今振り返って感じています。また、電動歯ブラシの企画をするうえでは、歯科業界の動向(歯科治療のトレンドや歯科医でのセルフケア指導の内容など)を探索していましたし、さらには美容業界においてオーラルケアがどのように位置付けられているか、といったリサーチもしていました。そういった「ごった煮」の情報の中から、新しいアイデアやビジョンがこぼれてくることがあります。また、そうした雑多な情報の中にいてディスカッションする中で、明確なきっかけはなくとも、開発チームの中に方向性に関するコンセンサスが何となく生まれてくることもあります。
意味のイノベーションもデザイン思考も、イノベーションを意図的に生み出す方法論として定式化されていますが、実務に活用するにあたって示されたプロセスに固執する必要はないと思います。それよりも、自分自身(自社)のアイデア発想や思考の「型」がどのようなものかを理解したうえで、もし今の型を変えたいと思うならば、定式化された方法の中から 部分的にでもやり方を借用して試してみることではないかと思います。
ジャスパー・ウ「実践スタンフォード式デザイン思考」(2019年、インプレス)では、デザイン思考は「(問題を 解決する方法を)設計(Design)するための考え方(Thinking)」と紹介されていますが、思考法自体も、試行錯誤しながら自身に合うものを見つけていく姿勢が求められると思います。