スタートアップによる価値創造とデザイン

スタートアップによる価値創造とデザイン

一橋ビジネスレビュー2022年冬号(東洋経済新報社)では、「デザインとは何か? 経営とイノベーションの本質に迫る」というテーマでの特集が組まれています。この特集の1つ目の論文が、永井一史氏の「デザインの本質」です。

永井氏は、(株)HAKUHODO DESIGNの代表取締役社長、ならびに多摩美術大学美術学部の教授であり、「産業競争力とデザインを考える研究会」のメンバーとして、2018年5月に経済産業省・特許庁が発表した「『デザイン経営』宣言」を取りまとめた人物です。

デザインを経営の根底に置くスタートアップ

今回の論文でも、なぜ今デザインが注目されているのか、その時代的な背景について解説しています。そして、デザインを経営の根底に置く新たな経営の担い手=スタートアップの経営者の存在について触れています。永井氏は長くグッドデザイン賞の審査を務めており、「デザインを経営の根底に置く」若手のスタートアップの経営者の着眼点に驚かされることが多かったといいます。

そして、特に印象的だった例として、2015年度にグッドデザイン賞の大賞を受賞したスタートアップ・WHILLのパーソナルモビリティを上げています。2015年度は、WHILL以外にも家電スタートアップ・バルミューダのスチームトースターが金賞を受賞したり、部門賞を受賞するスタートアップも多く、この年辺りが時代や価値観が変化する境となった、と振り返っています。        

WHILLのパーソナルモビリティ「WHILL MODEL A」は、WHILLにとっての初号機ですが、小回り、力強さ、操作性、機能性、電動車椅子をイメージさせない近未来的な姿で驚きを伴う製品であり、その根幹には、徹底的なユーザーの観察、社会性と文化性、経済性の追求があると指摘しています。WHILLのメンバーは、車椅子のユーザーが困っていることを解決するにあたって、障がい者や高齢者向けの電動車椅子を開発するのではなく、誰でも乗りたいと思える移動手段を開発した、と評価しています。

WHILL MODEL A
WHILLホームページより

インクルーシブデザイン

WHILLの製品開発・デザインへの取り組みの姿勢については、日経デザイン2022年10月号(日経BP社)にWHILLのメンバーへの取材を元に紹介されています。WHILLの電動車椅子は、「インクルーシブデザイン」の手法で生み出されている製品の1つとして取り上げられています。

インクルーシブデザインとは、障がい者、高齢者など制約のある多様な人々の「極端なニーズ」をきっかけに、マジョリティーが気づかないような潜在的ニーズを掘り起こし、より多くの人が使いやすいデザインを見いだす手法です。

インクルーシブデザインとは
「月刊事業構想オンライン」2014年9月号より

WHILLのミッションは「すべての人の移動を楽しくスマートにする」であり、このミッションからも、歩行が難しい障がい者や高齢者に限らず、誰もが、乗ること自体を楽しめる電動車椅子の開発を目指していることが窺えます。

一般的な車椅子は電動タイプであっても、後輪は手でこぐためのハンドリムが付いた大きなタイヤ、前輪は360度くるくる回る小さなキャスター、背面に手押し用ハンドルが付いており、福祉用具、介護用具という意識が強いため、いったん付けた機能や部品を外すことがためらわれたと思われ、「デザインの進化がほとんど進んでいない」状態にありました。

これに対して、WHILLの電動車椅子は、いずれのモデルも前後輪のサイズが自動車のように同じで、ハンドリムも手押しハンドルもない。斜めに伸びたアームと相まって、いわゆる車椅子らしくないスタイリッシュなデザインをしています。

WHILLのホームページの「創業ストーリー」のページでは、2010年にメンバーが出会ったある一人の車椅子ユーザーから聞いた「100m先のコンビニに行くのをあきらめる」という声がWHILL創業のきっかけとなったことが紹介されています。この声を受けて、車椅子ユーザーが直面する悪路、段差など「物理的なハードル」と、「車椅子に乗っている人」として周囲から見られる「心理的なバリア」を、デザインとテクノロジーの力で超え、誰もが乗りたくなる、革新的な一人乗りの乗り物(パーソナルモビリティ)を自分たちで作ることを決心した、とあります。

「機能的価値」と「意味的価値」

WHILLがデザインとテクノロジーの力で車椅子ユーザーの「物理的なハードル」と「心理的なバリア」を乗り越えたということ、これを「価値」の視点で捉えると、「機能的価値」と「意味的価値」、2つの価値をさらに増大することができた、と考えることができるでしょう。

機能的価値とは、「機能の数」や「性能」といった定量的に比較可能な価値のことです(長内厚ほか「イノベーション・マネジメント」(2022年、中央経済社))。車椅子で言えば、タイヤや駆動の工夫などにより、悪路や段差をスムーズに乗り越える性能です。デザインとテクノロジーのうち、テクノロジーにより依存する価値と考えることもできるでしょう。

一方、意味的価値とは、消費者の主観や感覚によって決まり、比較が難しい価値のことで、「感性価値」「情緒的価値」あるいは「経験価値」と呼ばれることもあります。車椅子で言えば、「車椅子に乗っている人」として周囲からネガティブに見られなくなることであり、デザインにより依存する価値と言えるでしょう。

永井氏の「デザインの本質」の中で、羽田空港で、足の不自由なご高齢の方、孫とおぼしき10歳ほどの女の子が、それぞれWHILLに乗って誇らしげに走っており、その情景をお母さんがスマートフォンで嬉しそうに撮影していた、という情景を紹介していましたが、このシーンに見られる価値は、まさに「意味的価値」であり、「誰もが乗りたくなるパーソナルモビリティ」として認められていることを示すシーンであるといえそうです。

羽田空港での「WHILL自動運転モビリティサービス」
WHILLプレスリリースより

また、WHILLのホームページの創業ストーリーの中では、「眼鏡」をイメージして開発していたと紹介されています。当初は目が悪い人のための福祉用具として作られた眼鏡ですが、今ではデザインが洗練され、バリエーションも増えて、ファッションアイテムとして目が悪くない人でも進んで利用するほどになっています。デザインの力が、製品カテゴリを福祉用具からファッションアイテムに変えたのです。同じことを、電動車椅子で実現しようとしているのです。

なお、意味的価値については、さらに2通りあると言われています。1つは「自己表現価値」です。ある製品にステータス性を感じ、その製品を保有して他社よりも優越感を得られることができる場合、その他者に対して見せびらかしたい、自慢したいという欲求に対して価値を感じることです。宝石や高級車のようなものの価値や、「スターバックスでアップルのマックを使って仕事をしていること(自分の姿)」に感じる価値などが当てはまります。もう1つは、「こだわり価値」です。自分自身の自己満足を満たす価値であり、マニアックさを満たす価値ともいえるものです。お気に入りのマンガや趣味のカメラなどが当てはまります。

広義のデザインを重視する

近年では、「意味のイノベーション」という言葉が広く知られるようになるなど、「意味的価値」を重要視する考え方が広がっているように思われますが、製品やサービスの価値は、機能的価値と意味的価値の合計であり、両方のバランスが大切といえます。(「意味のイノベーション」については参考URLのブログ参照)

テクノロジースタートアップと呼ばれるような、自社の優れた技術、他にない技術を強みとして製品・サービスを生み出す企業の場合、技術開発による機能的価値の創造にばかり捉われてしまいがちですが、「デザイン」の力を活用した意味的価値を創造できれば、さらに製品/サービスの価値を高め、より大きな経済的価値を獲得できると考えられます。

また、「デザイン」が意味するものとして、単なる見た目のデザインに留まらず、企業のあらゆる活動には、デザイン(広義のデザイン)が求められます。例えば、近年ではUX(ユーザーエクスペリエンス)のデザインも非常に重要になっています。WHILLは、本体だけでなく、個人のユーザーが機体を管理するアプリ、法人の利用者が自動運転の機体を管理するシステムの活用等を通じて、より快適なユーザー経験やライフスタイル、社会のあり方を提供しようとしています。

WHILLホームページ
「会社概要」内スライドより

同様に、組織づくり、生産活動、販売・マーケティング活動など、企業のあらゆる活動においてデザインの考え方を生かしていくことが、「機能的価値」と「意味的価値」の総和を最大化することに繋がるといえます。

参考文献・URL

  • WHILL企業ホームページ https://whill.inc/jp/                                               
  • WHILL2021年6月10日プレスリリース「羽田空港国内線第1・第2ターミナル出発ゲートラウンジ全域で 「WHILL自動運転モビリティサービス」の展開が決定」                                        
  • グッドデザイン賞受賞概要・2015年特別賞 https://www.g-mark.org/activity/2015/results.html
  • 事業構想大学院大学出版部「月刊事業構想オンライン」2014年9月号『障がい者や高齢者に普遍的ニーズを発見 インクルーシブデザイン』https://www.projectdesign.jp/201409/tool/001603.php                          
  • 経営デザイン専門ブログ『デザインでイノベーションを起こす①「意味のイノベーション」』                     https://xn--eck9awc8jr32piwxc.jp/2020/01/07/post-300/

スタートアップカテゴリの最新記事