2022年度の中小企業白書の第2章「企業の成長を促す経営力と組織」において紹介されている無形資産投資への取り組みについて紹介していく特集の第2回は、「人的資源管理」に関する記述に関して取り上げます。人的資源管理(Human Resouces Management:HRM)とは、人材を重要な経営資源として捉え、教育、評価、報酬などの人事施策を体系的に構築・運用する仕組みのことです。HRMと企業業績との関係については多くの研究が行われ、HRMと企業業績間には正の関係が見いだされています。
人材能力開発
(株)帝国データバンクが実施した「中小企業の経営力及び組織に関する調査」によると、経営者が直面している経営課題の中で重視する経営課題として、「人材」についての経営課題を重要と認識している割合が8割超と最も高く、経営者の「人材」に対する関心が特に高いといえます。
能力開発に対する積極性別に、従業員の仕事に対する意欲について見た結果として、経営者が従業員の能力開発に積極的である企業では、従業員の仕事に対する意欲も高い傾向となっています。経営者が積極的に従業員の能力開発に取り組む姿勢が、従業員の仕事に対する意欲の向上につながっている様子が見て取れます。
能力開発に対する積極性別に、能力開発計画や方針の有無について見ると、能力開発に積極的な企業ほど、能力開発計画や方針が明確化されている様子が見て取れます。さらに、能力開発に対する積極性別に、求める人材像や従業員の目指す姿の明確化の状況について見ると、能力開発に積極的な企業ほど、求める人材像や従業員の目指す姿を公表したり、明文化したりしている割合が高いことが分かります。
さらに、従業員の能力開発計画や方針の有無別に、売上高増加率について見ると、「明文化された能力開発計画や方針がある」企業では、特に売上高増加率が高くなっています。また、求める人材像や従業員の目指す姿の明確化の状況別に、売上高増加率を見ると、人材像を公表していたり、明文化したりしている企業ほど売上高増加率が高くなっています。こうしたことから、従業員の能力開発に当たっては、能力開発計画や方針、従業員の目指す姿を具体化した上で、計画的に取り組むことが企業の成長につながることが示唆される、としています。
考察1.能力開発計画のつくり方
厚生労働省のホームページには、事業内職業能力開発計画の作成の方法について記載があります。 事業内職業能力開発計画の作成は、「職業能力開発促進法」第11条に基づき、事業主の努力義務となっています。計画の作成は、人材開発支援助成金の一部のコースにおいて支給要件となっています。https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/jinzaikaihatsu/jigyounaikaihatukeikaku.html
計画策定の基準は、以下の様に説明されています。
(1)企業の経営方針や理念に基づき、当該企業において求められる人材像や能力要件を明確化
(2)人材の育成方針を定め、これらを踏まえた雇用管理方針の下に、従業員に対する職業能力開発の体系図と計画を策定します。
価値のあるものとするために能力開発計画に先立ち、「経営理念」「人材育成の基本方針」「雇用管理の方針」「各職務に必要な職業能力」「教育訓練体系図」といった内容を記載すると良いでしょう。
求める人物像や能力について明確にすることで、従業員の仕事への意欲が増すことが白書では紹介されていますが、採用活動を行う上でも意味があります。求める人物像や能力を示すことで、自社に適性のある人材に希望してもらえるようになり、採用できる可能性の向上や採用後の定着率の向上に繋がることが期待できます。
人事評価制度
従業員規模別に、人事評価制度の有無について見ると。従業員5~20人の企業では、人事評価制度があるのは4割未満であるのに対し、101人以上の企業では9割程度となっており、企業規模による差異が大きいことが分かります。
従業員規模別に、導入している人事評価制度の手法について見ると、半数以上の企業で、「目標管理制度」が導入されています。また、「360度評価」や「コンピテンシー評価制度」といった比較的新しい評価手法についても一定程度導入されています。(必ずしも規模の大小に相関していないのが興味深いところです)
従業員規模別に、人事評価制度を設けていない理由について見ると、従業員規模が小さい企業では「従業員が少なく、経営者が全従業員の状況を把握しているため」の割合が高くなっています。一方で、規模が大きい企業では、「制度を設けても運用が困難であるため」の割合が高くなっています。自社単独で人事評価制度を導入・運用することが難しい場合は、支援機関やコンサルタントなども活用しながら自社に適した人事評価制度を定着させていくことが有益である、としています。
考察2.人事評価制度を導入する規模
経営者の方と話していて時々出くわすテーマに、「社員が何人くらいになったら人事評価制度を導入するのが良いのか?」というものがあります。
このテーマを考えるうえで、「スパン・オブ・コントロール(Span of Control)」という考え方が参考になると思います。スパン・オブ・コントロールとは、マネジャー1人が直接管理している部下の人数や、業務の領域のことです。人事評価制度を設けていない理由として「従業員が少なく、経営者が全従業員の状況を把握しているため」と答えている経営者は、従業員数が自分のスパン・オブ・コントロールの能力の範囲内である、という判断をしているということになります。
一方、従業員数が経営者のスパン・オブ・コントロールの能力を超えてしまうと、経営者1人で評価することができず、他の経営幹部や役職者と従業員の評価を分担しなければなりません。評価者が複数になるということは、評価基準がないと評価の公平性を欠くことになるので、人事評価制度を設けることが必要になります。
グロービス経営大学院・MBA用語集(https://mba.globis.ac.jp/about_mba/glossary/detail-11843.html)では、「一般的な事務職では1人の上司が直接管理できる人数は5~7人程度と言われていますが、部下の業務内容や業務レベル、権限委譲できるかどうか、業務管理手法、教育、トレーニング、社内制度やシステムなどによって左右される」としています。今回の調査において、21~50名の従業員がいながら人事評価制度を設けていない経営者でも約60%は「経営者が全従業員の状況を把握している」と考えているようですが、自身の理解が本当に正しいのか、確認してみるのもよいかもしれません。また、経営者自身が従業員の状況について把握することができているとしても、人事評価制度を設けることでそのタスクを分散することで、他の経営業務に時間を割ける、という効果にも注目したいところです。また、責任者にとって、部下を評価する機会を得ることは責任者自身の成長にもつながります。
考察3.テクノロジーでHRMを変える
コロナ禍においてテレワークが広がりを見せる中で、テレワークにおける社内コミュニケーションや人事評価のあり方について論じられることがありますが、テレワークの導入に伴ってWeb会議の採用やグループウェアなどのコミュニケーションツールの導入によって、逆にコミュニケーションがスムーズになったという事例が報告されることもあります。テクノロジーによって、新しいコミュニケーションの形態が広がっている、ということがいえるでしょう。
同じように、HRMの分野におけるIT活用をサポートする事業者が多数登場しており、こうしたテクノロジーをHRTechと呼ぶこともあります。
岩本隆、加賀裕也共著「X-Techビジネス大全」(2020年、みらいパブリッシング)では、HR-Techは3つの段階で会社を変える、としています。第1段階は、手作業で行っている総務・人事・経理系の業務をテクノロジーによって効率化することです。第2段階は、経営者や責任者(マネジャー)が人材マネジメントをサポートし、従業員一人ひとりのパフォーマンスを上げるための仕組みづくりにテクノロジーを活用することです。現在、この段階に対する意識が多くの会社で高まっていると言います。従業員個々のスキルやモチベーションなどをデータ化し、パフォーマンスを伸ばすためのツールを提供します。そして第3段階は、蓄積されたデータに基づいて、チームや組織のパフォーマンスを向上する方法を分析し、人事マネジメントをある程度定型化することです。
HRTechの多くは、他のITサービス同様にクラウドサービスとして提供されていることが多く、小規模事業者、中小企業であっても利用しやすい(従業員数に応じたサービスパッケージが用意されている)ものになっています。ただし、特に第2段階以降のHR-Techの採用にあたっては、先に紹介した「求められる人材像や能力要件」「人材育成の基本方針」「雇用管理の方針」などが明確になっていることが求められます。会社としての基本的な方針がないままに新しいツールを導入すると、運用にあたって現場が(あるいは、責任者側も)混乱し、期待した効果が得られなかったり、以前のままのほうが良かった、という評価になってしまうことも起こり得るので、注意が必要です。
(出典)中小企業庁「2022年中小企業白書」