前回のブログで、「Appleの一連の製品に見られるデザインの統一感や世界観を日本の家電ブランドの製品群から感じることは難しい」という記述をしましたが、これに関して、「デジタル製品ばかりのAppleと違い、商品の幅が広い家電メーカーで統一感を持たせるのは難しいのでは」というコメントを頂きました。
これについては、私がメーカーに在籍していた時にも感じていたことで、テレビとドライヤーくらいの極端な例はもとより、例えば同じ小物家電であっても、若い女性が使う美容家電と、エグゼクティブに使ってほしいメンズシェーバーのデザインが、そもそも同じ世界観をまとうべきなのか、という疑問は当然生じます。最終的には、経営者やブランド責任者が、「同一ブランド」の領域をどこまでとするか、という考え方で決めるべき問題であると思います。
「らしさ」のないデザインはなぜ生まれるのか
森永泰史氏の著書「経営学者が書いたデザインマネジメントの教科書」(2016年、同文館出版)では、『なぜ、日本企業のデザインには「らしさ」がないのか?』『なぜ、欧州企業のデザインには「らしさ」があるのか?』というテーマで、デザインとブランドの関係が考察されています。日本企業が「らしさ」のあるデザインを創出できない原因としては、多い製品数、効率性を重視した組織構造、頻繁な人事異動、日本型流通システムを挙げており、一方、欧米企業が「らしさ」のあるデザインを創出している原因は少ない製品数とデザインを重視した組織構造、開発リードタイムの長さ、ある種の「傲慢さ」、文化的・歴史的要因を挙げています。それぞれの指摘については納得できる点も多いです。例えば、「日本型流通システム」とは、相対的に販売店(家電であれば量販店)が力を持ち、売れ筋商品ばかりを求めたり、価格調整のために短いスパンでの新商品を求めたり、といったシステムを指していますが、こういった流通の在り方が、個々のメーカーの商品企画上のチャレンジを難しくしている側面があることは間違いないと思います。
ブランド構築には傲慢さが必要?
そしてもう1つ、欧米企業が「らしさ」のあるデザインを創出する原因として挙げられている『ある種の「傲慢さ」』について、気になりました。
「ある種の傲慢さ」の例として、かつてフランスの自動車メーカーが、米国に自動車を輸出する際に、米国の自動車では必需品とされるカップホルダーを、インテリアの雰囲気を損なうという理由でつけなかった事例が紹介されています。こうした行動は、一見消費者のニーズを無視した傲慢な振る舞いに見えるが、ブランドを構築するには、仮に消費者に求められても、自社のイメージやキャラクターに合わないことは行わないという自律が必要になる、としています。また、日本企業は、極度の心配性なので、できる限り多くの人々に配慮しようとして、他社と似通った没個性的なデザインになってしまう、と指摘しています。
この事例への指摘に関して、「ブランドを構築するには、仮に消費者に求められても、自社のイメージやキャラクターに合わないことは行わない」ことがベストな対応であると私は思いませんでした。消費者に求められたカップホルダーをそのまま採用することが良いわけではないのですが、もしカップホルダーが消費者にとって価値の高い仕様なのであれば、「カップホルダーがなくてもカップを保持できる仕様」を開発すべきだと思います。つまり、消費者が欲しいのは「カップホルダー」ではなくて「座席にカップを持ち込めること」なので、そのニーズに応える努力をするべきではないかと思います。
もっと本質的な問いをしよう
こうした考え方は、マーケティング的には「より本質的な(高次元の)ニーズに対応すること」であり、デザイン思考の考え方においては、「観察」を重視すること、すなわち消費者の「言うこと」を聞くのではなく「どんな行動を取っているか」「そのような行動に隠されたニーズは何なのか」に注目することに対応します。すなわち、「より本質的な問いをする」ことに価値があると思います。
また、日本企業の「極度の心配性」「できるだけ多くの人々に配慮する」といった姿勢自体を否定する必要は全くないと思います。ただし、「らしい」デザイン、コモディティ化しないデザインを創出したいのであれば、消費者の言うことを聞いてそのまま商品を作るのではなく、消費者の要求により本質的に対応し、問題解決のデザインを創出する努力を行うことが重要である、と考えます。